バングラデシュの鉄道
2019年8月10日。この日は特別な日であった。
バングラデシュの屋根乗り列車を知っているであろうか。
イスラム教の祝祭の一つである犠牲祭(Eld-ul-Adha)の前日、列車の屋根が地元へ帰省する人々で埋め尽くされる光景である。
この光景は年に数回あるイスラム教の祝祭の時に見られるのだが、イスラム教のヒジュラ暦(1年≒354日)と我々が使うグレゴリウス暦(1年≒365日)に11日間のズレがあるため、多忙な社会人の貴重な休みに合うことは稀で、撮りに行くのはなかなか難しいのだ。
ところが来る2019年、犠牲祭の開始とお盆休みが奇跡的に重なったのである。
1400年の歴史を誇るヒジュラ暦と未来永劫続くであろう島国の社畜暦が手を取り合った歴史的な瞬間である。それが2019年8月10日なのである。
そんな僥倖へ立ち会うべく、前日の9日から有休を投入しバンコク経由ダッカ行の便に飛び乗った。
首都・ダッカの空港は国鉄の鉄道駅が隣接されており(エアポートアクセスとしてはほぼ使われていないが)、朝早速繰り出すとご覧の有様であった。どうなってんだ、この国は。
連結器まで器用に乗りこなすのは、この道数十年のベテラン選手に違いない。
この駅は中ほどに跨線橋があり、屋根乗りを観察するのにはうってつけだ。
対岸のホームに向かうには線路を横断していく人が殆どで、実質屋根乗り撮影のためにこの橋は掛かっている。
地元のメディアだろうか、大きなビデオカメラを抱えた撮影クルーの姿もある。
先頭で立ってるヤツ、急ブレーキでもかかったらどうするんだ。
この屋根乗り列車、毎年のように死者が出るらしく、この日も警備員が機関車前面に乗る人に注意をしていた。
しかしながら、排除するには人が多すぎる。
この日のピークの列車は、運転手の視界を遮るほどモリモリの状態で空港駅を出発した。
そして、相変わらず先頭でドヤ顔立ちをしている若者がいる。
なぜ、屋根によじ登ってまで列車に乗り込むのか。
まず前提として、この犠牲祭(Eld-ul-Adha)がイスラム教徒にとって非常に重要な祝祭であり、そんな犠牲祭を家族と過ごすのがバングラデシュの人々にとって何よりも大切だということだ(犠牲祭に関しては別の記事で紹介する)。
その上で、ダッカの人口が多過ぎる。
ダッカの人口密度は、日本一の人口密度を誇る蕨市(1平方㎞あたり14000人)をはるかに上回る1平方㎞あたり20000人であり、バングラデシュの貧弱な公共交通機関ではとてもではないが一斉に帰省するダッカ市民を捌き切れないのだ。
また鉄道が最も安く移動できる、というのもある。バスに比べて定時性も高いのだろう。
まあそもそも、切符をちゃんと買っているのかは微妙なところである。
当たり前だが、車両は屋根に乗るように設計されていないので、屋根に登るのは相当大変だ。
ドアノブやトイレの窓に手足を引っ掛けよじ登るのは、お年寄りや女性にとっては厳しい。
事実、屋根乗りしている人の多くは男性の若者であった。
東京の朝ラッシュもひどいもんで、二階建て車両の採用やらオフピーク通勤やらといろいろ手を打っているが、屋根乗り方式はその解決の糸口になりうるかもしれない。
架線のない銀座線や丸の内線・日暮里舎人ライナーなどで試験すべきである。
屋根もそうだが、車内も大混雑だ。
一度乗り込んでしまえば、途中で車外に出るのは困難だろう…と思ったが、全開の窓を見るに、ここから飛び降りれば問題なさそうだ。
乗客の手を借りて、僕も屋根に登ってみた。
この車両は屋根が平らだったので思ったより安定感があったが、それでも端っこに立つと怖い。
時速数十キロで走った状態で落下すれば、ただでは済まないだろう。
お昼ごろになり、屋根に乗り込む人は減ってきた。ラッシュを過ぎたのだ。
時間にして6時間ほど、何枚シャッターを切ったかわからない。
それでもまだまだホームには人が溢れ返っており、ひっきりなしに列車が到着しては満員となり出発していく。
しかし僕の体力の限界がきた。
気が付けば太陽は頭のてっぺんに到達し、うだるようなダッカの熱気が駅を支配していた。
「適度な静養がVを生む」と友人が言っていたが、これに倣い撮影を切り上げ宿に向かった。
犠牲祭編につづく。
(撮影日:2019.8.10)
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