ー 西アフリカ旅行記 もくじ ー
- モロッコ~西サハラ
- モーリタニア鉄道撮影
- モーリタニア貨物列車乗車(本記事)
- モーリタニア・シンゲッティ訪問
- セネガル鉄道撮影
ついに貨車乗りを執り行う日がやってきた。
サハラ砂漠を貨物列車で横断する。長いこと鉄道趣味をしてきてこんなにも心躍ることはない。
長丁場に備え、食料や毛布を買い込み、駅へと向かう。
道中、ズエラット鉱山からの上り列車とすれ違った。行き掛けの駄賃とばかり、タクシーの中から撮影する。
砂の中に佇むこの建物は、”GARE”の文字が無ければおおよそ駅だとは判別し難い。
これでも一応、この国で一番大きな駅なのだが。
中に入ると警官が居て呼び止められる。
「チケットはあるか?」と聞かれたので、
「ワゴン(=貨車)に乗る」と答えると、
あーはいはい、といった感じでぼくのパスポートをコピーしに行った。
しばらく列車は来ないだろうと駅舎のベンチでうとうとしていたら、いつの間にかたくさんのモーリタニア人(以後モ民)が集まっていて既に目的の列車が停車していた。
入線風景を撮り逃したのはぼくの人生イチの失態である。
貨物列車に乗る、というのは日本のみならず諸外国の多くで禁じられている(たぶん)ので、貴重な体験ができるということでこのエクストリームアクティビティは旅好きにはそこそこう有名らしい(ロンプラにも載ってる)
駅で居合わせたフランス人のグリエーズマン(仮名)・ルーマニア人のキヴ(仮名)もそんなモノ好きで、旅人同士同じ貨車に乗ることにした。
全長2キロにもなるこの貨物列車だが、実は最後尾に1両だけ客車が付いている。
となれば、貨車なんかよりこの客車に乗ったほうが良さそうだが、こっちはこっちで寿司詰めの車内でなかなか大変らしい。
需要(乗客)に対して供給(客車)が足りていないのだ。たぶん満員の客車を嫌ったモ民が貨車に乗り始め、”貨車乗り”という文化が生まれたのだろう。
砂漠の中を進む貨物列車にこんなにも乗客が集まっている理由は、モーリタニアの道路事情である。
モーリタニアの道路は首都ヌアクショットを中心に放射状に延びているので、地方都市同士を移動する際は必ずヌアクショットを経由する必要があり、時間もお金もかかる。
そんな中、沿岸部のヌアディブと内陸部の中核都市アタールの間は、この鉄道が通っており、途中のシュムという駅で下車し移動することができるのだ。
砂漠のど真ん中に位置するアタールにとって、このルートは物資を運ぶのに重要であり、ぼくもモ民に言われて魚や野菜などの生鮮食品の積み降ろしを手伝った。
16時頃、凄まじい衝撃とともに発車した。
同時にぼくとグリエーズマンとキブ、あとグリエーズマンのロードバイクが吹っ飛ばされた。
鉄道好きの方なら、貨物列車が発車する際、連結面が生み出す衝撃については想像がつくと思う。
この列車は貨車が3km分。停発車だけでなく、ちょっとした加速やブレーキの度にこの衝撃が延々と繰り返される。
これが爆音目覚まし兼自動寝返り装置となって、睡眠を妨害し続ける。
ヌアディブを出て本格的に砂漠の奥に進むにつれ、砂塵がひどくなっていった。風で貨車内の鉄鉱石のクズも巻き上げられる。
頑丈なことだけが取り柄のRICOH製のカメラはまだしも、お母さん製のぼくの身体は防塵防滴でもなんでもないので、砂除けの布を巻いていても、目や口にどんどん入り込んでいく。
平然と貨車の上に座っているモ民たちは、きっとRICOH製の身体に違いない。
陽が落ちていくと襲ってくるのが、寒さだ。
日中は30℃後半はあったのに、夜は10℃を下回る。冷え切った貨車の床・風も相まって体感はより低く感じる。もう一枚毛布を調達しておけばよかった。
深夜2時頃、駅っぽいところへ停まった。でも暗闇でよくわからない。
アタールに向かうためには、シュムから乗り合いバンに乗り換えるのだが、列車の横をみると無数のハイエース蠢いている。ここがシュムだ。一応モ民にも確認する。
グリエーズマンのロードバイクや、魚の詰まったクーラーボックスやらなにやら、荷下ろしをみんなで手伝う。グリエーズマンはこの暗さの中アタールまでチャリンコを漕ぐらしい。どうかしてるよ。
ハイエースの前でアタールアタール言ってたら車内に押し込まれた。
そんなこんなでドタバタのまま貨車乗りは終わった。
つづく。
訪問日:2019.2.26~27
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