「モンゴルの撮り鉄騎馬軍団が激V写真を携え日本に乗り込んでくるらしい…?」
匿名のタレコミがあったのは2023年のはじめ。この情報に日本人は震え上がった。
義務教育によって我々日本人の脳裏に刷り込まれたモンゴルのイメージ…元寇。
そのイメージは山川の教科書からだけではなく、800年前博多で相対じた先人たちから、脈々と遺伝子レベルで受け継いでいる。
前回は”カミカゼ”によって難を逃れたが、毎回毎回そんな神がかりなことが起きるだろうか。
ホームに響くファンのため息。どこからか聞こえる「国内はもう終わりだよ」の声。
我々はモンゴル騎馬軍を前に、なすすべは無いのだろうか。
これは、そんな鉄道界の未曽有の危機に立ち上がった、日本のオタクたちのフィクション物語である。
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2023年GW初日、6人のオタクが首都ウランバートルに集結した。
全員、地球を遊び場とし幾たびと試練を乗り越えてきた精鋭オタク達である。
E氏・D氏をリーダーとする今回の遠征団は、前半組と後半組に分かれモンゴル各所を偵察する。
私は、サハラ砂漠での貨車乗り経験をD氏にアピールし、前半からフル参加させてもらった。
我々は早速意気揚々としてウランバートル駅の偵察に出かけたが、すぐさま現れたM62機関車(通称:WUMME)の攻撃を受けた。
元寇の際、モンゴル軍が「てつはう」という武器を用いたことは広く知られている。
手榴弾のようなもので、日本軍を苦しめたという。
これを改良したのが「てつどう」である。
「てつどう」は、オタクに近付き警笛を鳴らす。
機関車好きのオタクたちはそのカッコよさに、大ダメージを受けてしまうのである。
辛くも我々は近くの機関庫に逃げこむことに成功した。ガイドのT氏が取り計らってくれたのだ。
しかし、ここにもM62機関車が待ち構えていたのだ。
博多湾に集結した鎌倉武士のごとく、ウランバートル駅周辺はM62その他機関車によって固められているようだ。
リーダーの判断により、ウランバートルからは早くも撤退することとなった。
これから南方方面・ゴビ砂漠へ向かうという。
日は土曜日。陽の傾いたウランバートル駅には、たくさんの列車を待つ人々がいる。
皆、休日を友人や家族と過ごしたのだろうか、あるいはこれから過ごすのだろうか。
不思議なことだが、彼らは「てつどう」には耐性があるようだ。
一方で我々オタク達は、緑色の客車から漂う”東側”の気配に興奮し、「てつどう」によるダメージを受けつつ瀕死のままシャッターを切り続けていた。
我々が乗り込んだ、サインシャンド行夜行列車はなんと各駅停車だという。
ここは初日から消耗した体力を回復したいところ。
我々はモンゴルの草原の羊、ではなく運用中のM62の数を数え、見事眠りについた。
しかし標高1.9Mを誇る私の足はベットには収まらず、モンゴルの夜風に吹きさらされることとなった。
早朝、Airagという小さな町で下車した。
この列車はAiragで、小田急線の相模大野のごとく、一部客車を切り離す。
切り離された客車は、新たに機関車を付け替えボルウンドゥルという町へ向かうという。
ジェネリック相模大野駅で待っていると、機関庫からヤツがやって来た。
冬はつとめて、WUMMEはつとめて。
本日の牽引はラッキーなことにM62機関車であった。
ウランバートルからAiragまで徹夜で車で先回りしてくれた(!)ガイド氏&運ちゃんに拾ってもらい、ボルウンドゥル支線へ。
WUMME!!!!!!!
ここまで、モンゴル到着してから24時間経っていないのにこの成果である。
このままでは「てつどう」に対して身体がもたないのではないか。そう危惧しリーダー両名に帰国を提案するもあえなく却下、さらなる奥地へ連行されることとなった。
つづく。
(2023.4.29-30)
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